占星術の占いをうけてきました。
ときは表参道。私は麻布でランチを食べて急いで向かった。表参道に電車で来るのは久しぶりである。なれない出口から、なれない裏道を10分ほど歩いて、マンションの一室にお邪魔した。
どんな人なのか?初めて会うその人はとてもかわいい女性だった。
四柱推命で1時間。占いって自分が良いと思うことだけを信じればいいのだ。悪いことは言われたら、気にしない、忘れるに尽きるのですよ。引っ張られてたらダミ。
今回占い師さんに聞きたかったのは私は今人生の岐路に立っている気がしたから、これからの結婚運・仕事運・金運・子宝運(?)について聞きたかった。四柱推命を前に受けたのはいつだったかわからないし、なんだかよくわからないけど、お願いした。
仕事運や金運よりも先生は結婚・子供に関してよく話をしてくれた。それはわたしがもうすぐ38歳になるということと、最近子供がほしいと思い始めるようになったと伝えたことから、女性は子供がほしいと思った時50歳だったら産めない可能性の方が高いことを強く感じているようだった。
たしかにそうだよね
「ほしいな」そう思った時が、そうゆう時。そう言ってくれたのが救いだった。相手の運気も見てくれた。結果はズバリ、私が感じていたことだった。運気というか、今年はこんな感じ、がここまで合ってるなんてすごすぎる。
先生は2月で干支が変わる数え方で私は2025年の今年後半から特に運が良くなってくるんだって。言われたことはこうである。忘れないように記事にまとめておく。未来の私、どうですか?
- 才能を活かす時
- 仕事変えるなら今年から2027年まで(今年をきっかけに)※干支が変わる一年は、来年の立春2/4〜来年の干支 2026/2/4-2027/2/3
- 今切り替わりどきの大事な時
- 今年は旅にでる
- 変わったこと仕事を始めてみる
- 新しい人たちと出会う
- 来年は結婚するかも、桃の時期
- 出会う。ひとみつける
- 今年後半運がいい 2月〜8月だから今(10月は後半戦)
- 来年は全体的にいい
- 恋愛もいい
- 父方の先祖から守られてる
要約すると、私の運勢はここからしばらく最高!
今年来年は色んな人に出会って相手をGETするの!ということである。
さらに私のパートナーとは離れたほうがいいとのことで、離れるの辛かったら一緒にいながら別の人探して!あなたの運気もったいないよとのこと。運気がこんなによくなかったら「一緒にいたら?」っていうらしい。へえ。そうなのか・・・
パートナーとは長い期間一緒にいるけど、もともと私が結婚と子供に興味がなかったのもあり、特に結婚したいと話はしていなかったのでズルズルここまで来てしまった。38歳の今はいいけど、48歳58歳68歳になったときにこどもがいないっていうのはすごく寂しそうだなと思いはじめて子孫を残したいなって思うようになった。でも、パートナーに話せずに10月になってしまったのだ。
なぜ別れられないのか?
私は男性に対するトラウマがある。元凶は父である。父親と母親は仲が悪く私が8歳のときに離婚をした。とかく、いつも喧嘩をしており、お母さんが泣いて兄弟を連れて夜中の公園で泣いていた。今思い出しても涙が出てくる。たまにおばあちゃんが迎えに来てくれた。
そんな父親を殺そうと思ったことがある。お母さんを悲しませるなんて許さないって思ってた。包丁を向けた。「危ない!」って言われて、終わったけど。憎かったんだ。
お母さんが大好きだった。でもお母さんの愛情は弟の方へといった。私に向けてくれない気がして辛かった。すべては父親のせいだと思った。私は父親に似てたからお母さんも辛かったのかもしれない。でも子供の私にとっちゃーそんなことどうでも良かった。辛かったな。
中学、高校と家に帰らない日が増えた。いまでいうマッチングアプリみたいなもんで、男の家を渡り歩いた。家にいたくなかった。お母さんのことが大嫌いになっていた。男の家にいっても、なにも解決しないでずっと寂しかった。高校生になってバイトして、前向きに働こうかと思ったけど、なんだかだるくて、地元のヤンキー友達に誘われて水商売を始めた。
水商売人生はここから長くなる。最初のスナックで働いていた時の名刺を高校で落として、担任の先生がお母さんを呼んだ。お母さんはなにも言わなかった気がする。たまに家に帰るけど、帰らない時のほうが多かった、妹が小さくて、帰ってきてって電話たくさんかかってきたけど、帰らなかった。罪悪感と悲しみと虚無感の間で過ごしていた10代。男は私を埋めてくれなかった。常に不安と寂しさがあり、ずっと依存していたかったの。なにかに。だって、さみしいし、誰も私の味方になってくれないから。男の人の傷は男の人で埋めて、どうかぽっかり穴をあけないで。私にひまを与えないで、一人にしないでってずっと思ってたけど、可愛く言えないのよね。強がって、笑って、徘徊してた。
それでも家に帰るとお母さんはわたしたち兄弟を旅行に連れて行ってくれた。めっちゃ働いてたよね。そのときは嫌だったけどね。家にいてよ、お母さんって思ってた。
そうしてどんどんこじらせていって、結局一人で入れない寂しさと埋まらない穴や、男の人は結局は私を守らないで見捨てる、愛さない、幸せになれない、頼りにならないという気持ちがどんどん大きくなっていき、男は私の敵であるという信念が固く造形されていく。雨降って地固まるのが続く。
みんなが結婚しはじめる20代後半。結婚しないとと一丁前に焦るけど、結局結婚しなかったしフラフラしてたかったし自由にやってたけど、ずっと幸せじゃなかった。楽しかったけど、今考えるとずっとさみしくて家に帰りたくなかった。家に帰ってもさみしくて、土日も家にいれなかった。だれかと会ってたかったし、予定がないと死ぬって本気で思ってた。
30代。マインドフルネスに出会って思考のクセを発見し、潜在意識で感じていること、トラウマとありとあらゆる角度から向き合った。とてもつらかったし、すぐに思った通りになるわけなくてもどかしくて、辛かった。けど心地よくて、諦めたくなくて、ずっと続けている(なう)
途中、私は「見捨てられ不安」という言葉に出会った。見捨てられ不安からでてきたのは幼少の頃。変態ジジイにいたずらされたり、両親が喧嘩していたり、仲良くしてほしいのに正反対で、おいていかれたりさみしくて、さみしくて、不安で心配で泣き声も殺して、我慢して、辛いのを前に出さない私とやっと出会うことができた。
小さい頃の私はとても我慢していて、小学生のわたしもとても我慢していて、ずっと泣いていた。愛されたくて泣いていた。今の私からハグしにいったって、「愛してるよ」って言ったって、そんなの嘘だと思ってなにも響かなかったし、結局どうせ、また捨てるんでしょ?私から離れていくんでしょ?ほーらね、やっぱりねって。小さい私、すごく可哀想だった。
それって恋愛に関しては父親の影響をうけるそうで、私はいつからか男性を「自分から離れない人が好き」と思うようになった。その人にはいくらでもわがままいっても許してくれる、どこかに連れて行ってくれる、私を無条件で愛してくれて、ずっと一緒にいてくれる年上のひと。まさに親。父親なんだって気がついた。この頃、自分がまだまだこじらせていることに気が付かなかった。薄々気がついてたけど、見ないふりしていた。言語化していなかった。
だからおじさんが好きで水商売も手伝っておじさんとよく飲みに行ってた。おじさんは無条件で私を愛してくれるから。付き合ったり愛を語らうのは無理だけど、一緒に飲んでバカ話するにはすごく楽しかった。
自分は父親に対する気持ちが、複雑化させていることに気がついたのは「お母さんが大好きでいいんだ」と気がついて号泣した時。お母さんが憎くて仕方なかったのは、大好きだったから。大好きすぎて、こっち見てくれないのが嫌だった。だから強がって「大好き」って言えなかったの。でも「大好き」っていうことって恥ずかしくないし、いいんだ!って自分にOK出して、いいんだ!って気がついた時、大泣きしながら、「私お父さんからの愛情と安心をもらたかったんだな」って気がついたんだ。
そんなお父さんは10年も会っておらず近所に住んでるのは知っていた。でもわざわざあわなくても、次に会うのは死に顔だろうなって本気で思ってた。たまにお父さんの声で私の名前を呼ぶ声が聞こえては泣いていた。小さいコロ、わたしの名前を呼んでいた。あの声だった。
会いたいと思ったことはほぼない。だって、お母さんが私を育ててくれたし、迷惑かけたくなかったから。そして、私が子供を生む選択をできなかったのは、私のように悲しい思いを子供にさせたくないなって思ってたから。あと、自分の子供が無邪気にわがままをいって、子供らしくしていたら、私はできなかったのに、と虐待してしまうんじゃないかって心配だったから。
それくらい、私は傷ついていたんだよ。忘れていた。
父方のご先祖さまの話に
そんな中、占いの話に戻ると先生が不意に
「父方のご先祖さまに守られている。お墓参りいってる?」と言ってきた。父方のお墓がどこにあるのかわからないし、生まれた場所を知ってるくらいで、さっぱりですと答えた。
そしたら、「探しに行ってみたら?やりたいこと、見つかるかもよ」
ご先祖様を大事にした方がいい。お父さんお母さんはそうだったかもしれないけど、もっとむかしのご先祖はまた別の話だしって。あなたのルーツがあるところにいって、色々見たり食べたりお寺さんに行ってみたりどんな事やってたのかとか。お知らせが来るかもよ。ってことで
「財」を動かす意味でもいってきなって言われた。
数年ぶりに父親に電話した
電話番号があっているのかもわからないけど、かけた。占いおわってすぐに。というのも11月にそっちの方面に行く予定があったのだ。どうにかして行けるならと思って電話してお墓のこととか聞いた。そしたら私のおばさんが数週間前に急にお墓にいきたいって言われたから来週行くんだと言われた(家から車でいける距離に祖父母の墓がある)。
年に1回いくの?と聞いたら行かない年もあるとのことで、これまた鳥肌ものだ。
どんだけ引き寄せてくるんだろう!そのおばさんのこと、私はとにかく嫌いなので、一緒にいくか迷っていた。けど、なにかの流れがあるに違いないと、おばさんと弟とお父さんでとりあえず行ってくることにした。
場所の名前もきいて、なんかすぐ行かなくてはならない気がした。
そして・・・パートナーとの喧嘩も頻繁におこっており、将来の話ができないとモヤモヤしているこのタイミングで、たまたま気になる占いの先生が目につき予約を取った。父親のことを言われて電話したら年に一度もいかない墓参りの予定があった。どんどん飛躍していく私の運氣。恋愛のトラウマと父親、結婚子供願望がでてきたタイミング。全部揃っていて、そろそろ怖い。今回お墓参りに行くことで、なにが変わるんだろうか?
お墓参りに行ってみた
10年以上会っていない父親に再会した。とんでもなく老け込んでいて妖怪まるだし。実年齢よりもかなり老け込んでる。死にそうだ。覇気がないんだ。おばさんも変わっていた。でも普通に話せるようになっていた。お墓につくまでに色々聞いた。小さいころに住んでいた場所のはなしや、親戚の話、父の両親の話など。初めて聞く話ばかりで、目からうろこならぬ、耳からうろこ。
どうやら、父のDVは、祖父から来ているようだった。私はクソ・・・三代目私に来たか。そう思った。祖父は早くに亡くなったのでまったく記憶がない。戦争に行ってたからPTSDみたいなもんからDVだったんじゃないかなんて言ってたけど、それとこれ。どうなんだ。それを悲しみみていた子供たち(わたしの父たち)が「男たるもの、こうゆうものなんだ」なんていって、私のお母さんを傷つけていたのだとしたら・・・やっぱり断ち切りたい。
お墓についた。管理棟についたときには、予報どおり雨が降っていた。私は晴れ女なので、絶対やむと思っていた。弟が雨男なので、「さすがに雨男の威力が強すぎたか~」と言っているさなか、実際にお墓の前に立つ頃には雨がやんで晴れていた。
後光が差してきた。
とはならんかったけど、晴れてた。そしてお墓を掃除して、挨拶をした。先祖代々の墓じゃなかったけど、きれいなところに墓がありとてもいいところだった。
ここにいたんかあ・・・・?
記憶がほぼない人たちがいるお墓だけど、あなたたち、そのまたご先祖さんが守ってくれているらしいの。だから、感謝を伝えに来ました。いつもありがとう。これからもよろしくおねがいします。
とつたえて帰宅した。
父たちの故郷につれていかないといけないし、私もいかないといけないなって思ったので父と叔母には伝えた。距離感が大事なのは忘れないようにしよう。
後日パートナーと
後日、私はなんだかスッキリした気がしなくもなかった。もっとこうやばい出来事がすぐに起きるかも?って思ったんだけどそんなことなかった。ただし、大きく変わったことがあった。それはパートナーとの話の中でジャブが何度かあったので「いまだ!いけ!」と言わんばかりの流れ?といいう事象が起きた。
なので私は流れにのって勇気を出した。そう、結婚と子供について話を切り出したのだ。
20年一緒にいるけど私は結婚も子供も興味がなかったし、あちらがしたそうにしてたかもしれないけど、私がガン無視を決め込んでいていつの間にかタブーになってしまっていた話題である。
切り出そう、切り出そうで10ヶ月が経っていた。それくらい、なにも言えなかったの。怖かったから。私はいつも孤独でいないといけないんだって怖かったの。
でも言えた。これは一連の流れのおかげで、自分の人生に責任を持とう、今日が人生で一番若い日であるということをちゃんと落とし込めたからだと思う。
「いいね!結婚しよう。俺も子供がほしい。俺、仕事頑張るね!体、大事にしてね」
って言われたら嬉しかったんだなって今になったら思うけど答えは真逆だった。鳩が豆鉄砲打たれたみたいな顔をしていたので想定外すぎたんだと思う。
職場でも良い人間関係を作れないパートナーは、このあと運気が低迷して、家庭内でもコミュ障を発揮するらしい。まさに今。
というのがここまでで、今後どうなるかな?乞うご期待に。
コメント